2016/10/12

メキシコは第二の祖国

穂積和子さん

<プロフイール>
大学卒業後、結婚を機に渡墨。
結婚、出産ののち、社団法人日墨文化学院に日本語講師として勤務。
多くの卒業生を送り出す。
現在は、社団法人日墨文化学院学院長として、成長するメキシコ経済を支えるグローバル人材の育成に力を注いでいる。

現在、メキシコシティ、コヨアカン地区にある、「社団法人日墨文化学院」で学院長を務めている穂積さん。

利益優先の企業に就職するのではなく、人の役に立つ仕事をしたいと思っていた穂積さんは、大学卒業後、日本にいる留学生の世話をすることに尽力していた。

そしてメキシコ人の男性と知り合い結婚。

1977年、渡墨した。

「勢いでメキシコに来たという感じです」と笑う。

ここメキシコでは、貧しい人たちが皆、助け合って生きている。

何の保証もない、ルールもないない中、自由な考えを持って皆、生きている。

それが当初のメキシコの印象だという。

「当時の日本は、女性に対してのプレッシャーが多くありました。例えば、女性だから、こうであらなくてはいけない、みたいな・・」

〈自由の国メキシコ〉

メキシコは、何も知らない国であっても溶け込むことができたのかもしれない。

 

それから40余年。

3人の娘さんにも恵まれた。

しかし、今日まで順風満帆だったわけではない。

「結婚当初は本当に何もなかった」

洗濯機もなく、洗濯は毎日手洗いだったという。

メキシコ人は強い。特に女性。そして母は強い。

そんな中で穂積さんも毎日の生活に必死だった。

しかしある時ふと思ったという。

 

「なにひとつ社会貢献していない」

 

子育て中心の生活の日々。

自分がやるべきことは何なのか。自分の中で悶々とし、夜中にも目がさめる。

「そんな時、友人から日本語学校があるよって聞いたのです。すぐに仕事ありませんかってその学校に飛び込みました」

それが現在、学院長を務める日墨文化学院だった。

日本人だからといって日本語を教えられるわけではない。

語学はそんなに甘くはない。

先輩に教わり勉強した。

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 この仕事に携わって2016年で30年。

いろんな学生と巡り合えた。

生徒からたくさんのことを学んだ。

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 穂積さんは生徒が成長していく姿を間近で見れることが一番嬉しいという。

メキシコにある日系企業に就職する卒業生は多い。

また、日本企業に就職し、駐在員としてメキシコにいる卒業生もいるという。

そういった卒業生たちが、たまに訪れてくれる。

「15歳から入学を受け付けています。まだまだ子供だった子たちが第一線で活躍している。弁護士になってカナダに住んでいる子もいます。つい先日もお子さんを迎えに来た父親が先生って声をかけてくれたんですが、その父親も卒業生だったんでびっくりしました」

多くの学生、卒業生に慕われるのも、「みんなの役に立ちたい」と今日まで頑張ってきた穂積さんのその人柄だろう。

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しかし、メキシコに来て辛かったことも少なくはない。

 【娘たちをメキシコ人として育てなくてはいけない】

「娘が生まれた時、自分に義務づけたのです」

そして穂積さんは3人の娘さんを現地の学校に入学させた。

メキシコ人の母親たちは、「うちの息子はハンサムでしょ」「うちの娘はとても美人」と子供自慢をするのが当たり前の国民性。

しかし穂積さんは他人に娘自慢をすることは出来なかったという。

「人さまに対して、謙遜するという日本人の性格からでしょうか」

その後、成長した娘に言われたという。

“あの時は悲しかった。ママは自分たちのことを全然褒めてくれなかった”

「娘をメキシコ人にと思ったのに、自分がメキシコ人の母になっていなかった」

当時を思い出すとかわいそうなことをしたと後悔する。

 そしてもうひとつ。

 「母が亡くなった後、父から皆に手紙が送られてきました。その手紙の内容を家族に伝えたいと思ったのですが、行間に込められた父の気持ちをうまく伝えられなかった時のもどかしさ・・・」 

 

しかしメキシコは第二の祖国。

「もし、日本とメキシコの中で紛争が起こったら、私はどっちの国の味方をしていいのかわからない」と笑う。

 

40年。

いろんなことがあった。

悲しいことも嬉しいことも全てこの国と共にあった。

 そして今後、穂積さんは、時間が出来たら、何か勉強をしたいという。

「語学やダンスなど、楽しくやりたいですね」

もっともっと、メキシコでの生活を楽しんでいきたいと話してくれた。

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 *社団法人日墨文化学院は1967年、日本大使館の後援により、日本語通訳養成コースとして設立された。これは翌年1968年のメキシコオリンピックに向けて日本人選手や関係者のアテンドを目的としたものであった。オリンピック終了後、独立し現在に至る。

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