2016/10/01

「親孝行」×「IT」で、世界の家族を幸せにする

中村昌史さん

<プロフイール>
株式会社青い鳥 代表取締役

大学卒業後、ワーキングホリデー制度を利用して1年間カナダのバンクーバーへ。
現地で、コミュニティカフェの立ち上げ・留学カウンセラーとして従事。
帰国後、同窓会代行サービスの会社に入社し、同窓会営業、運営、アライアンス業務、広告営業、人事を経験し、2016年3月末に退職。
同年、8月に株式会社青い鳥を設立。
【親孝行×IT】で世の中の家族に幸せを運ぶサービスを開発している傍ら、スリランカに貢献したい強い想いから、9月にスリランカにてIT人材育成の為の拠点として、オフショア開発会社を設立準備予定。社会貢献を軸に日本とスリランカに力を注いでいる。

 

2016年8月5日、中村昌史は【世界の家族を幸せにする】というビジョンを掲げ、

株式会社青い鳥を設立した。

子供のころから決めていたという起業。

ここに行きつくまでの課程、そして青い鳥の事業内容について語っていただいた。

 

可もなく不可もなく、普通の家庭に育ち普通の子供だったという昌史さんは、

中学時代に経営者になることを決めた。

その理由は、経営者は自由で楽しそうだから。

高校卒業後、とりあえず大学へ行こうと思っていた。

「そんな時、兄貴に言われたんです。お前、何の社長になるんだと。確かに!考えていなかった!笑っちゃいますよね。本当、何も考えていなかったんです」

「とりあえず東京の大学へ行こう。東京なら何か見つかるかもしれない」

しかし、1年、2年と過ごす中、何も見つからない。

何かを見つけたいけどどうしていいかわからない。

日々情報収集する中で、昌史さんは「起業塾」と出会う。

週1回1年間の勉強会。入会金30万。アルバイトでためた30万は全く惜しくはなかった。

「何かが見つかる。いや、見つける」

しかし、「起業塾ではとにかくみんな頭が切れる。僕、完全に負けてるなって思いました」

ビジネスモデルの作り方を徹底的に学んだ昌史さん。

中村塾

1年間かけて彼が出したビジョンは「親孝行」だった。

 

「今でも覚えています。自分が苦しい時でも出来ることは何だろう。

毎日そればかり考えていました。

ある日、小田急に乗車していて、ふとひらめいたんです。

自分は親孝行がしたいと。親が喜ぶ顔が見たいと」

 

実は昌史さん、中学生~高校生の頃は反抗期で両親と口もきかない、顔も合わせない、そして母親の作る料理も食べない。そんな時期があったそう。

しかし離れて暮らすようになってから、親のありがたさがわかり後悔していた。

そして昌史さんは持っていたスマートフォンにメモ書きした。

【生涯をかけて親孝行を行い、親孝行の大切さ、素晴らしさを世の中に広める事が出来る経営者になります】と。

中村小田急の中で

自分の進む道は決まった。

しかし大学4年になると起業すると言っていた仲間が皆、就職活動をし出す。

「えっ!そうなの?」って思いましたね。

でも自分は違う。

インターネットを検索しまくりいろんな人のブログを読んだ。

なにかヒントはないかと。

そこで見たのがドイツでインターンをしている同年代の日本人のブログ。

日本という国を飛び出し、英語だけではなくドイツ語を使い、ドイツ企業で学生ながらインターンをしている。

「かなり刺激を受けました。すごい!と思いました」

「でも、すごいって思った瞬間、負けてるんです」

「よし、僕も海外へ行こう。そう決めました」

昌史さんが選んだ先はバンクーバー。

理由はワーキングホリデーがあるから。

そして海外での目標は、1年間でビジネスとして使える人脈を作ること。

帰国後は、ベンチャー企業で3年間働き経営とビジネスモデルを学び、2016年に起業する。

そう決めた昌史さんはバンクーバーへと飛び立つ。

 

バンクーバーでの生活は楽しかったという。

多くの日本コミュニティに参加し、多くの仲間ができた。

街を歩いてもカフェに入ってもどこに行っても友達がいる。

楽しくて住みやすい。

「すごく居心地が良かったんです。でも居心地がいいという事は、成長できていないという事。日本に帰ろう。そう思いました」

そして帰国間近になり昌史さんはある講演会に参加する。

それが、ロサンゼルスでビジネスを成功させた日本人、石黒会長との出会いだった。

 

講演終了後、石黒会長のもとへ行き名刺をもらった。

そしてビザが切れる前日、昌史さんはバンクーバーからロサンゼルスの石黒会長の自宅に向かった。

「10日間、会長の自宅にお世話になったんです。ここで会長から直接、経営について教わりました。会長は世界を舞台にしろ!そうおっしゃいました」

そして日本に帰国する日、昌史さんは会長に約束する。

「これから日本に帰ってベンチャー企業で3年、学びます。そして3年後、ビジネスプランを持って、また来ます」と。

 

帰国後、起業塾で一緒だった先輩が所属していたベンチャー企業に入社。

仕事の進め方、ビジネスモデルの構築、マネタイズ化、学ぶことはたくさんあった。

そして3年間はあっという間に過ぎた。

「どんなに忙しくても親孝行ビジネスの事は頭の中にありました」

日々ビジネスモデルを書き出す。

事業計画書を何度も書き変える。

そして2016年春。

親孝行ビジネスの事業計画書が完成。

昌史さんは3年間いた会社を退職する。

そして約束通り、企画書を持って、石黒会長がいるロサンゼルスへと向かった。

 

「中村君、これは心のビジネスだよ。会長は褒めてくださいました。きっと成功すると」

石黒会長はアメリカにわたって3万円で起業し、そこから多くの苦難を乗り越えて成功したビジネスマン。

「僕も会長のような生き方をしよう」そう決めていた昌史さん。

3年間働いて貯蓄した自己資金と創業助成金で株式会社青い鳥を立ち上げた。

中村会長と

 

【世界の家族を幸せにする】冒頭にも述べたが、これが青い鳥のビジョンだ。

親孝行をしたくても何をしていいかわからない人に対して、

「親孝行」×「IT」でサポートをしていく。

 

昌史さんは、現在そのシステム構築に奔走している。

「日本でシステムをゼロからつくると、人件費が高いので今の僕には困難。

なので、システムチームをスリランカで作ります」

スリランカ法人「青い鳥HR」の設立準備をしつつ、

現地で優秀なエンジニアの採用に取り掛かっている。

中村スリランカ1

「最初は人件費が安いからスリランカでと思い現地に行きました。

しかし日本とスリランカの歴史を知ってから、スリランカという国に貢献したいと思うようになりました」

そう話す昌史さん。

バンクーバーは第二の故郷だが、スリランカへの思いも日に日に強くなっているという。

スリランカの優秀なエンジニアを世界に出していきたい。

スリランカのエンジニアのレベルを上げる。

それが、僕がやるもう一つの仕事です。

 

現在はシステム制作の段階なのでまだ収入になるものはない。

しかし今が一番幸せだという。

「これから先のことを考えるとワクワクするんです。これからもっと幸せになるだろうから」

人生を思いっきり楽しんでいる昌史さん。これからの青い鳥のビジネスに注目していきたい。

中村スリランカで

 

 

 

最新インタビュー

2017/07/12
グエン フォック クゥイ トウオンさん

2017/04/13
安 星 さんさん

2017/04/11
大島 嘉仁(おおしま よしひと)さんさん

2017/03/28
MAIKOさん

2017/03/13
株式会社アンカーマン        代表取締役 和田直人さん

バックナンバー